喜びも悲しみも1227日

お客様窓口 No.3澤田藤司徳

2012年05月26日 20:12


2009年1月15日 18:21

「高島市マキノ町で建設予定ですが、施工は可能でしょうか?」

の一通のメールが届きました。
これがK様とのお付き合いの始まりです。

営業なりたての私にとって、琵琶湖の対岸など恐るるに足らずでしたので、もちろん二つ返事で

「おまかせ下さい!」

と返信したように記憶してます。

その後2月・3月に弊社で建築頂いたお客様の家の見学、土地探しに、土地の交渉など、営業マンなりたての半人前の私に文句を言う訳でもなく色々とご相談くださいました。


M様邸への見学風景。お二人共新婚ホヤホヤでしたね


マキノの別荘地。一時は購入候補でした。



ちょうどその頃、今はやんちゃで手のつけようがない!?ルリちゃんが奥様のお腹にいました。
土地がまとまらなかった事と、ご出産という事もあり、ここで一旦話が止まってしまいます。


ご出産後もオープンハウスへ何度か足を運んで頂いたのですが、土地は決まらずで数年が過ぎた2010年の年末。確かオープンハウスへご来場の際にお話があったように記憶しているのですが、

「岐阜で建てようと思ってます。建ててもらえますか?」

みなさん気付かれましたか?

「建ててもらえますか?」

ってお声がけ下さったんです!

本来は私共が
「ご契約お願いします!」という立場なのに

「もらえますか?」ですよ


世知辛い世の中、義理も人情も希薄なこの時代に、こんな言葉をかけて頂けるなんて、営業マンにとっていやいや、一人間として本当に嬉しかったんです。

大げさな表現ですかね?

いえいえ、僕の気持ちを表現するにはこれでも足りないぐらいです。



そんなこんなで、いよいよK様邸が本格的に進んでいきます。

岐阜の垂井で土地を購入されたのですが、この地域には大昔から使われていた<マンボ>なる農業用の地下水路が張り巡らされているという事で、図書館や役場へ行って、その歴史や調査から始まり、遠方にお住まい(福井県)でしたので、銀行との折衝もお手伝いしました。

お打合せはK様がちょくちょくお帰り下さったので、垂井のご実家や弊社事務所でお打合せを重ね(たまには福井も行きました)、今日晴れてお引渡しを向かえる事になりました。


これは2回目の福井打ち合わせ時にあんまり海がキレイやったもんで、K様のご近所で撮影


地鎮祭があって(こっち向いてるのが ルリ姫)


昨年の年末には上棟


そして完成

お腹にいたルリちゃんも3歳になり、K様ご夫婦も30歳を迎えられ、私にいたってはバカボンのパパ同級生になってしまいました。
時のたつのってホンマ早いですね


とりとめもない事をズラズラと書いてしまいましたが、まだまだ書き足りないぐらいK様とは思い出があります。


そういやこんなとこにも行きましたな


家造りを進めていく中で感じたのは、K様ご夫婦を一言で表現するなら「オシャレ」ですかね。

何でもかんでもお金をかけて、気に入った物をバンバン買うって本当の意味のオシャレじゃないと思います。

本当に必要な事や物に対してがっつり取り組んで、納得いくまで打ち合わせ、そしてチョイスする。

自分達にとって何が大事で何が必要でないかって事を把握し、しかもその線引きが非常にわかりやすく明解でした
K様ご夫婦は物・事・プランなど家造りを進めていく過程で、ホント素敵なチョイスをされるんです。


もちろん、K様からもたくさんのご提案を頂きました。マルトプランとは言ってますが、K様&マルトの設計と言っても過言ではありません。

打ち合わせ中は「自分のやりたかった事は外せない。でもそれ以外は奥様にお任せ。」と言っておられたご主人でしたが、実は全体のデザインバランス、構造や予算など把握・取りまとめをして下さってました。

奥様はとにかく勉強熱心。そしてたくさんの商品を企画・開発そして探してこられました。ある意味、K様邸のコーディネーターは奥様だったのかもしれません。

K様と出会えた事で、知らなかった・やった事ない・やってみたい・初めて使った・思い切ってデザインしてみたなどなど、たくさんの新たなチャレンジをさせて頂き、私個人のスキルアップだけでなく、弊社の新たな形やスタイルまで造れたように思います。

本当に感謝の言葉しか浮かびません。 K様ありがとうございました。

これからが本当の意味でK様とのお付き合いの始まりです。

まだまだ未熟者で、これからも色々ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。




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